竜馬の人生・第十六回について 坂本龍馬のことなら龍悠会

 

坂本龍馬の人生を辿る

坂本龍馬に訪れたもう一つの運命的な出会い


「坂本龍馬は幕末の海を自在に泳ぐ」


勝海舟が、後に日本にとって重大な意味を持つ会談を
することになる人物に初めて会ったのは元治元年9月
大阪であったとされている。その人物とは、薩摩藩の
西郷隆盛である。

「坂本龍馬も大きな関心を寄せた海軍力」


海上からの侵攻を恐れた江戸幕府によって大型船建造が
一切禁止され、沿海航行用の木造船しか持たなかった当時の
日本にあって、二人の関心はやはり海軍力にあった。
大阪で会った時、西郷は勝に神戸港開港の遅れを心配し
勝もそれに対する策を語ったとされる。

実際はアメリカをその目で見てきた海舟が、幕府の政策を
批判的に語ったようである。幕府の人材不足、諸外国の脅威、
幕府の無策が続けば日本は植民地として餌食になるだろう
ということなどを話した。これを聞いた西郷も大きく影響を
受けたという。

「坂本龍馬と西郷隆盛の出会い」


この初の面談に先立つ元治元年8月、坂本龍馬は勝海舟の
使いとして西郷隆盛に出会うのである。勝海舟の氷川清話に
よれば、坂本龍馬は海舟が西郷、西郷というので興味がわき
海舟に紹介状を書いてもらってたずねて行ったらしい。

坂本龍馬と西郷隆盛の出会い
■坂本龍馬は西郷隆盛と出会う

坂本龍馬が後に海舟に語った西郷隆盛に対する評価は
よく知られている。師匠の勝海舟に対し、西郷隆盛を評して
「なるほど良くわからぬ人物だ。もし馬鹿なら大きな馬鹿で
利口ならば大きな利口だろう」と言った。「釣り鐘ならば
大きく叩けば大きく響き、小さく叩けば小さく響く。ただ
叩く撞木が小さかったのが残念だった」

自分自身を鐘を突く撞木に例えて評したこの言葉を聞いた
海舟は「評する人も評する人、評される人も評される人」と
双方に感心した。

「坂本龍馬は薩摩藩へ」


こうして幕末の主役達が出会ってから間もなく、神戸海軍操練所は
閉鎖となり海舟は江戸で蟄居となり読書三昧の日を過ごすことになる。
海舟塾の塾生も行き場を失った。このとき海舟の要請に応じて手を
差し伸べたのが西郷隆盛であった。西郷は薩摩藩邸に塾生を匿い
そして薩摩藩所有の蒸気外輪船「胡蝶丸」に乗せて、薩摩藩へ向け
送り出したのである。

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■坂本龍馬びいきのご隠居のつぶやき■
坂本龍馬大好きご隠居の一言
西郷隆盛と勝海舟、そして坂本龍馬。この三人の出会いについては
少々謎がある。記録では坂本龍馬は勝海舟に先立つ一ヶ月ほど前に
西郷隆盛に会っている。しかしその坂本龍馬に西郷隆盛への紹介状を
書いたのは未だ面識のない(はずの)勝海舟なのだ。しかし果たして
何の面識もない人物が書いた紹介状というものが通じるものか?
実は西郷と勝は、この時すでに互いを見知っていたのでは?と考えても
おかしくはないであろう。
それを何故隠したのかは当人に聞かなければわからない謎である。

坂本龍馬 家系図